2025/09/26 13:00



―2025–26年秋冬、クラシックが新鮮にー

この秋冬、ファッションの世界では「ヴィクトリアンスタイル」が再び注目を集めています。
繊細なレース、構築的なシルエット、そしてどこか物語の中の登場人物のような優雅さ。そんなクラシカルなムードが、現代的なエッセンスとともにアップデートされ、知的で洗練されたロマンティックなスタイルに。
「ヴィクトリアンスタイル」という言葉は耳にしたことがあるけれど、実際にはどんな背景があるのか――そう感じている方も多いのではないでしょうか。

このブログでは、ヴィクトリアンスタイルの歴史的なルーツなどを、わかりやすくご紹介していきます。

<ヴィクトリア朝とは>


ヴィクトリア朝(英語: Victorian era)は、イギリスのヴィクトリア女王が統治していた1837年から1901年までの期間を指します。
この時代は、イギリスが産業革命を経て経済的に大きく発展し、世界的な影響力を持つようになった、いわば大英帝国の最盛期とされています。
特に19世紀後半の約50年間は、イギリスが「世界の工場」と呼ばれるほどの工業力を誇り、他国を圧倒する存在でした。1877年にはインドを併合し、植民地支配を確立。これにより、イギリスは広大な領土を持つ「第二帝国」として繁栄を極めました。
また、強力な海軍力と工業力を背景に、国際社会では「パックス・ブリタニカ(イギリスによる平和)」と呼ばれる安定した時代が続きました。
外交面において、ヴィクトリア朝のイギリスは特定の国と同盟を結ぶことなく、独立した立場を維持する方針を採っていました。この方針の背景には、強大な海軍力と工業力を持つイギリスが、他国に依存せずとも自国の安全と繁栄を守れるという考えがありました。
その結果、イギリスは長らく単独での外交を展開し、国際秩序の安定にも大きく貢献したとされています。

ヴィクトリア朝の繁栄を象徴する出来事のひとつが、1851年にロンドンで開催された「ロンドン万国博覧会(The Great Exhibition)」です。
この博覧会は、世界初の国際博覧会として、イギリスが誇る産業技術と工業製品を一堂に集め、世界に向けてその力を示す場となりました。
会場となった「クリスタル・パレス」は、鉄とガラスで構成された革新的な建築物であり、産業革命の成果そのもの。この壮麗な空間には、蒸気機関や織機、化学製品など、当時の最先端技術が展示され、イギリスが「世界の工場」と呼ばれるにふさわしい姿を世界に印象づけました。
同じ年には、トマス・クックが旅行会社を創業し、ロイター通信がロンドンに設立されるなど、情報・交通の分野でも近代化が進展。これらの動きは、イギリスの海軍力と工業力を背景に、近代文明が世界へと広がり始めた象徴的な瞬間でもありました。

パックス・ブリタニカとは?
「パックス・ブリタニカ」とは、19世紀のイギリスが世界に強い影響力を持っていた時代を指します。
特に1815年のナポレオン戦争終結から、1914年の第一次世界大戦が始まるまでの約100年間、イギリスは強力な海軍力と工業力を背景に、国際社会の安定と自由貿易を支えていました。
ただし、この「平和」はすべての人にとって公平なものではなく、植民地に暮らす多くの人々の犠牲の上に成り立っていたことも忘れてはなりません。

<ヴィクトリア朝の三つの時期とその特徴>

初期ヴィクトリア朝(1837年〜1850年)
ヴィクトリア女王の即位から始まるこの時期は、社会的・政治的に不安定な時代でした。産業革命の影響で都市化が進み、労働者階級の問題や政治改革への動きが活発になりました。選挙法改正や穀物法の廃止など、近代化への第一歩が踏み出された時期でもあります。

中期ヴィクトリア朝(1850年〜1870年代)
この時期は、イギリスが「世界の工場」として絶頂期を迎えた時代です。1851年のロンドン万国博覧会はその象徴であり、技術と文化の発展が世界に示されました。自由貿易体制が整い、国際的な影響力も高まりました。社会的にも安定し、家庭や道徳が重視されるようになったのもこの頃です。

後期ヴィクトリア朝(1870年代〜1901年)
1880年代以降は、帝国主義の波が押し寄せ、新しい美学や思想が登場しました。一方で、アメリカやドイツの工業力が台頭し、イギリスの経済的優位に陰りが見え始めます。国内では政治改革が進み、社会主義の芽生えや労働運動も活発化。文化面では、芸術や文学が多様化し、近代への移行が始まった時期でもあります。


女性君主とイギリスの繁栄:エリザベス1世とヴィクトリア女王

イギリス史において、国家が大きく繁栄した時代には、しばしば女性君主の存在がありました。
特に、16世紀後半のエリザベス1世の時代と、19世紀後半のヴィクトリア朝は、いずれも女性が王位に就いていた時代として広く知られています。

エリザベス1世(在位:1558〜1603年)は、スペインの無敵艦隊を打ち破り、イングランドを海洋国家として台頭させた女王です。その治世は「エリザベス朝」と呼ばれ、文学や演劇、探検などの分野でも大きな発展が見られました。

一方、ヴィクトリア女王(在位:1837〜1901年)の時代は、産業革命の成果を背景に、イギリスが「日の沈まぬ帝国」と呼ばれるほどの世界的な影響力を持つようになった時期です。技術革新、国際貿易、植民地支配が進み、文化・芸術も大きく花開きました。
このように、イギリスでは女性君主のもとで国家が安定し、繁栄を遂げたという歴史的な認識が根強くあります。長期にわたる統治と安定した政治体制が、文化や経済の発展を支えたとも言えます。


ヴィクトリア朝の文化と美術

ヴィクトリア女王が統治した1837年から1901年の時代は、イギリスにとって経済的・政治的な繁栄の時期であると同時に、文化と芸術の面でも大きな発展を遂げた「黄金期」でした。

この時代の特徴のひとつは、家庭の安定と道徳的価値が重視されたことです。
ヴィクトリア女王とアルバート公の夫婦は、公私ともに円満な関係を築いており、その姿は理想的な家庭像として広く認識されました。
この様な穏やかな社会の雰囲気が、芸術家たちの創作活動にとっても好ましい環境となり、絵画や工芸、文学などの分野で多くの才能が開花しました。
ヴィクトリア女王自身も芸術の支援に積極的で、英国の芸術家たちを後援しました。その結果、芸術家は貴族と同等の地位を得て、上流社会との交流を深めながら創作に励むことができました。
ラファエル前派やアーツ・アンド・クラフツ運動など、革新的で多様な芸術潮流が生まれました。

ヴィクトリア朝の文化は、産業革命による社会の変化と中産階級の台頭を背景に、豊かで洗練された美意識を育みました。その影響は、当時の服飾や建築、文学にまで広がり、現代に至るまで私たちの美意識やライフスタイルに深く根を下ろしています。


コルセットの歴史


17〜18世紀のヨーロッパでは、バロックやロココの華やかな文化の中で、コルセットは装飾性を増し、女性の身体のラインを強調する役割を果たすようになりました。
18世紀には、スカートを左右に大きく広げる「パニエ」が流行し、釣鐘型のシルエットが理想とされましたが、フランス革命を機にそのスタイルは急速に廃れ、より自然でゆったりとした「シュミーズドレス」が主流となります。この時期、コルセットも一時的に姿を消しました。

しかし、19世紀のヴィクトリア朝時代に入ると、コルセットは再び重要な役割を担うようになります。
階級を問わず広く普及し、貞淑で品位ある女性像を体現するための「義務」として位置づけられました。特にウエストの細さは、女性の魅力や結婚市場での価値を示す指標とされ、コルセットによる締め付けが強調されるようになります。

1840年代までは、肩紐付きで硬い鯨骨を使用したコルセットが主流でしたが、着用には他者の手助けが必要でした。
1850年代に入ると、肩紐がなくなり、丈も短くなっていきます。この頃は、スカートの裾を大きく広げる「クリノリン」が流行し、コルセットの存在感はやや控えめになります。
ところが、クリノリンが廃れ始めた1870年代には、再びウエストを強調するスタイルが求められ、コルセットの丈も長くなり、身体のラインをより強く補正するようになります。
このように、コルセットは単なる衣服の一部ではなく、時代の美意識や社会規範を映し出す象徴でもありました。


ヴィクトリア朝のドレスシルエット:スカートの膨らみが語る美意識の変化

19世紀のイギリスでは、女性のドレスシルエットが時代とともに大きく変化しました。特にスカートの形は、社会の価値観や技術の進歩を反映する重要な要素でした。

ペチコートからクリノリンへ(1830〜1850年代)
19世紀前半、スカートの裾をドーム状に膨らませるために、女性たちはフリル付きのペチコートを何枚も重ねて着用していました。
その重さと不便さは相当なものでしたが、優雅なシルエットを保つためには欠かせない存在でした。

1850年代半ばになると、鯨骨や鋼を使った骨組みでスカートを広げる「クリノリン」が登場。
これにより、ペチコートは1枚で済むようになり、女性たちに歓迎されました。クリノリンはドレスの下に装着され、スカートを美しく広げる一方で、最大で周囲4メートルにもなる巨大なサイズが流行し、馬車の乗り降りや座席の確保に苦労するなど、日常生活には不便も伴いました。
バッスルの時代へ(1870〜80年代)
1860年代後半になると、スカートの前面は平らになり、後ろ側だけが膨らむスタイルが登場します。
1870年代にはクリノリンが廃れ、代わって腰の後ろにボリュームを持たせる「バッスル」が流行しました。
バッスルは、女性の成熟や品位を象徴する形として受け入れられ、さまざまな素材や構造で工夫されました。

このように、ヴィクトリア朝のスカートシルエットは、時代の美意識や社会的理想を映し出す鏡のような存在でした。技術革新とともに変化するドレスの形は、女性たちの生き方や価値観にも深く関わっていたのです。

ヴィクトリア朝の服飾:時間帯と場面に応じた装いの美学

ヴィクトリア朝の女性たちは、時間帯や社交の場に応じて異なるスタイルの服を着用していました。それぞれの装いには、当時の美意識や礼儀作法が反映されており、細部にまでこだわりが見られます。

昼間着(デイドレス)
日中に着用されるドレスは、実用性と品位を兼ね備えたスタイルでした。袖は肘から下に向かって広がる「パゴダスリーブ」と呼ばれる形が流行し、動きに優雅さを添えていました。
首元は詰まっており、レースやかぎ針編みの襟があしらわれることで、控えめながらも上品な印象を与えていました。

夜間着(イブニングドレス)
夜の社交の場では、より華やかで肌の露出が多いスタイルが好まれました。えりぐりが深く、袖も短めであったため、長い手袋やレース・かぎ編みの手袋を合わせることで、エレガントさと礼儀を両立させていました。

ティーガウン(Tea Gown)
1870年代になると、公式な場ではない家庭での集まりやお茶会のための「ティーガウン」が登場します。
コルセットを着用せずに済むこのドレスは、身体を締め付けず、リラックスした雰囲気を演出できることから、女性たちの間で人気を集めました。ティーガウンは、レースやフリルで装飾された優雅な室内着であり、社交の場にふさわしい品格を保ちつつ、快適さも兼ね備えていました。


ヴィクトリア朝最後の10年:1890年代の女性服とシルエットの変化

1890年代は、ヴィクトリア朝の終盤にあたる時期であり、女性の服装にも大きな変化が見られました。
この時代のスタイルは、詰まった襟元と長い胴部のラインを強調するデザインが主流で、コルセットによって、細く引き締まったウエストが理想とされました。
この頃には、クリノリンやバッスルといったスカートの膨らみを支える構造はすでに姿を消しており、代わりに女性たちはよりスリムなシルエットを求めるようになります。
スカートはふんわりと広がる形から、腰や脚の上部に沿うスタイルへと移行し、より身体にフィットしたラインが美とされました。その結果、コルセットの締め付けはさらに強まり、座ることや階段を上ることさえ困難になるほどのドレスも登場。
この時代のファッションは、女性の理想像や社会的役割を映し出す鏡でもありました。


1880年代の女性服:活動と場面に応じた実用的な装い

ヴィクトリア朝後期の1880年代には、女性の社会活動が広がるにつれて、場面に応じた実用的な服装が発展しました。乗馬、狩猟、外出、旅行など、それぞれの場面にふさわしいスタイルが確立されていきます。

乗馬服
乗馬の際には、バッスルなしのスカートと上着をセットで着用し、詰まった襟のシャツや、袖なしの薄い布でできた「シュミゼット(chemisette)」を合わせるのが一般的でした。帽子は、シルクハットのような「トップハット」にヴェールを添えて、凛とした印象を演出していました。

狩猟服
狩りの場では、足首までの長さのスカートに、ブーツや伸縮性のある襠(まち)付きの深靴を着用。動きやすさと防寒性を兼ね備えた実用的なスタイルが求められました。

外出着
街を歩く際には、長い上着にバッスル付きのスカートを合わせ、小さな帽子や「ボンネット」をかぶるのが定番スタイル。バッスルによって後ろ姿にボリュームを持たせることで、当時の理想的なシルエットを保っていました。

旅行着
旅の際には、埃や風から身を守るために「ダスターコート(duster)」と呼ばれる長いコートを着用。軽くて丈夫な素材で作られ、移動中もエレガントさを損なわない工夫がされていました。


ヴィクトリアンスタイルとは?

ヴィクトリアンスタイルとは、ヴィクトリア女王が統治した1837年から1901年の間に、イギリスで広く流行した服飾・建築・インテリアのスタイルを指します。
この時代は産業革命による繁栄とともに、中産階級が台頭し、家庭や道徳が重視される社会的傾向が強まりました。

ファッションの特徴
ヴィクトリアンスタイルの服装は、豪華で装飾的なディテールが特徴です。
刺繍やレース、フリルで飾られた襟や袖口、コルセットで締め付けられた細いウエスト、そしてパニエやクリノリンでふくらませたロングスカートが、理想的な女性像を形づくっていました。
特に女王が夫アルバート公を亡くした後、長期間喪に服したことから、黒を基調とした禁欲的なスタイルも広く浸透しました。この影響で、ファッションにも慎み深さや品位が求められるようになり、装いはより内面的な美しさを表現する手段となっていきます。

建築・インテリアとのつながり
ヴィクトリアンスタイルは服飾だけでなく、建築やインテリアにも広がりました。ゴシック・リバイバルやルネサンス様式など、過去のデザインを再解釈した折衷的なスタイルが流行し、家庭の中にも重厚で華やかな美意識が息づいていました。

ヴィクトリアン・シャツ(ブラウス)とは?

ヴィクトリアン・シャツ(ブラウス)は、19世紀のヴィクトリア朝時代(1837〜1901年)の服飾スタイルを取り入れたシャツ(ブラウス)のこと。クラシカルで装飾的なデザインが特徴で、現代でもレトロでエレガントな印象を与えるアイテムとして人気があります。

主な特徴
素材:シルクやサテンなど、光沢のある柔らかな素材やレース素材がよく使われます。
装飾:フリルやレース、ピンタックなどが襟元や袖口に施され、華やかで繊細な印象に。
シルエット:ゆったりとした身頃に対して、ウエストや袖口はやや絞られ、メリハリのあるラインを作ります。
襟:特に立ち襟が特徴的で、首元を覆うことで、当時の慎み深い美意識を表現しています。
ロマンティックでクラシカルなスタイルとして、現代のファッションにも取り入れられています。


ヴィクトリア・ネックとは?
ヴィクトリア・ネックとは、首元を高く覆うスタンドカラーの装飾スタイルのこと。
レースやフリル、かぎ針編みなどの繊細な素材で飾られた付け襟やシャツの襟元が特徴です。
このスタイルは、当時の慎み深さや品位を重んじる美意識を反映しており、詰まった襟元にレースの装飾が施されたデザインが好まれました。高い襟は、女性の首元を隠すことで控えめな美しさを演出し、同時にエレガントな印象を与えていました。
現代では、ヴィクトリア・ネックはロリータファッションやゴシックスタイルなどにも取り入れられ、クラシカルで優雅な雰囲気を演出するアイテムとして取り入れられています。


<まとめ>

今シーズンは、ヴィクトリアンムードを感じさせるスタイルが多くのブランドから登場しています。
バッスルやハイカラーといった象徴的なディテールは、現代的に再構築され、クラシカルでありながら新鮮な印象に。
フリルやレースの繊細なあしらいも、ロマンティックな雰囲気を添えてくれます。
ブラウスやワンピース、セットアップなど、それぞれのアイテムにヴィクトリアンな要素がさりげなく取り入れられており、日常のスタイリングにも自然になじむのが魅力です。
ベロアやシルクなど、光沢のある素材もこのムードを引き立てるポイントです。
ぜひ今シーズン、ヴィクトリアンムードをワードローブに加えてみてはいかがでしょうか。


〈actrheaアクトレイア〉では、今季注目のヴィクトリアンムードを現代的なエッセンスで再解釈したアイテムを展開しております。
繊細なレースが印象的なブラウスは、クラシカルな気品と軽やかな華やかさを兼ね備え、日常の装いに優雅なニュアンスを添えてくれます。
また、19世紀のバッスルスタイルから着想を得たデニムティアードスカートは、構築的なシルエットとデニム素材のカジュアルさが調和し、ロマンティックでありながらも凛とした佇まいを演出します。